「浦山桐郎をさぼらせへん会」「七人の会」そして今は女子会…
もう45年続いている創作グループ。シナリオあり、落語脚本あり、俳句あり、漫画あり…
立ち上げた時のメンバーが7人だったので「七人の侍」ならぬ「七人の会」なんて名前で進行してきました。途中でメンバーも増えて11人になりましたが…高齢化が進み…3名が彼岸の人となり、2人が諸事情で脱退。今は6名となりました。
2か月に1回の合評絵が年に3回、2回となり存続が危うくなって「どうしよう」と皆で考え出したころにころな…コロナ禍となり合評会も年始会も中断せざるを得ず4年が過ぎて行きました。
そして今年、「久しぶりに集まろう」となり本当に久しぶりの集まりとなりました。
3名いた男性メンバーは一人もいなくなり女性だけになったので「女子会で良いんじゃない」はい、見事に女子会でした。(あの頃君は若かった)女性たちの。😅
女性メンバーも一人が欠席だったので結局5人となりました。淋しくなってきたわ…
場所は天満橋の京阪シティモールの8階にある「文蔵」と言うお店。
予約をしていなくて、目当ての店が満席だったので、他の店を探して…
このお店も店内は他のお客さんが多くてようやく奥の部屋へ。隣のテーブルの人が写ってしまうので店内の様子は撮れませんでした。
昔は松坂屋だった京阪シティモール。ここも4年ぶりですが、大きく様変わりしていました。
ーここから話は変わりますー
私たちが合評会の場にしていたエル大阪(府立労働センター)も変わっているのかと心配になってきました。七人の会以前は私設の浦山桐郎監督ファンクラブ「浦山桐郎をさぼらせへん会」なんてのも勝手に立ち上げて(メンバーがどうやって知り合ったかは割愛)、勝手に浦山桐郎監督に来ていただいて勝手に映画会を開いて勝手に講演までしていただいて、その後は監督を囲んで飲みに行き、
監督は酒が入るとただの酔っ払いのオッサンなので、飲んだ後は路上でその筋の方たちに大声せ喧嘩を売るかも知れん。「その時は我々は監督をほっぽり出して走って逃げよう」などと相談しながら監督の後をついて歩いてました。何と言う思い出だ…
やがて結婚や何やかやで友人関係が微妙になり、そして監督の早すぎる鬼籍入りがあり「さぼらせへん会」は解散し、さぼらせへん会の残党や旧知の映画好きや演劇好きやらが集まって「七人の会」結成。40年以上の長い付き合いに発展していったのです。
様々の事思い出す天満橋界隈…
前にも貼ったこの写真、もう40数年前(場所は阪急東通り商店街あたりの居酒屋)
私、腕組んでる。こういう時の腕組って相手を拒否… この時、他の人たちみんな監督から逃げて私だけ捕まったのよ。(結局、監督に恋の相談なんかしてるのにこの態度は無いわ。今見るとずいぶん失礼な私です)
8/7