らんぷの仕業

s’il vous plait  よろしくお願いします。

浦山桐郎監督の言葉②

真摯に謙虚であれ

神戸でポートピアが開催された1981年の前年、1980年に浦山監督は「太陽の子 てだのふあ」を撮っています。舞台は神戸です。監督が関西によく来られていたのはそのためです。私たち「浦山桐郎をさぼらせへん会」のメンバーも監督の撮影現場を見学させて頂きました。(私、その日、風邪の高熱で西宮市の実家の布団の中で唸っていました。あ、その頃は私、神戸で独り暮らししてたので)

メンバーのKさんとI氏が監督の命令でエキストラ出演しています。顔は写っていませんが)

監督は兵庫県の出身でもあり、神戸に縁ありで、ポートピアで神戸市が主催したフィルムコンクールの審査員もされていました。

81年の秋頃に神戸市の県民会館で発表と授賞式があり、その授賞式に監督に誘われてメンバーの女3人で(良いのかな)と言いながら出向きました。場所が分からなかったりで私たちはちょっと遅れまして、授賞式も終わり最優秀賞作品の上映が始まったところでした。

上映の後、関係者のパーティがあり、なんとそこへも出席させて頂いたのです。(良いのかな、良いのかな)と言いながら飲んで食って。

見ると監督がどなたかと会場を出ていかれるところで、私たちは慌てて監督の後を追いました。何しろ私たち、監督がいなかったら、ただの怪しい食い逃げ犯ですから。

エレベーターホールで二人に追いつきました。監督と一緒にいたのは同じく審査員だったSF作家の小松左京氏でした。「かんとくー!」と私たちが声を上げると、振り向いた小松左京氏は「浦山さんのファンは成熟した女性ばかりで羨ましいですな。俺のファンはケツの青いガキばっかりや」と笑いながら監督を私たちに預けてくれました。小松左京、オトコマエ!

その後、三宮の居酒屋で監督を囲んで4人で色んな話をしたのですが、ハッキリ覚えているのは先ほど観た最優秀作の監督評でした。

映像を学んでいる学生たちを対象にしたフィルムコンクールで受賞したのも映像関係の学校の生徒の作品で、タイトルは「教えてください」そんなタイトルだったと思います。(うろ覚えです。m(__)m)

「彼らは自分たちがまだ未熟だと言う事を知っている。未熟な自分たちに人間を描くのは無理だと言う謙虚な気持ちを持っている。だから対象に動物を選んだ。その謙虚な気持ちがあったから、映像の中に神の現れた瞬間を撮ることが出来た」ー神の現れた瞬間、それがどのシーンかすぐに理解できました。あのシーンだ…

映像は、島だったか公園だったか、そこに生息する野生猿の集団を追った物でした。中に一匹、両手の無い子猿がいたのです。その子猿が水の流れる溝に落ちたのです。子猿はもがきますが両手が無いためどうする事も出来ず、ただ流されるだけ、(えっ、なに、どうなるの!)ヒヤッとした時、母猿が現れて子猿をサッと救い上げたのです。時間にして本の数秒、観ていた私たちにはとても長い時間に思えましたが、母猿の登場で心底ホッとしたのです。

撮ろうと思って撮れるシーンじゃない。何日も何日もただひたすらカメラを回して、そんな時あの瞬間が現れた、のだと。

「真摯に謙虚であれ」この言葉を監督は受賞者たちにも掛けたのでしょうか。(私たち遅刻したので授賞式を知らない)もし、そうであれば受賞した学生たちの大きな励みになったのは間違いないでしょうね。

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